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福岡高等裁判所 平成7年(う)313号 判決 1998年9月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中八〇〇日を右刑に算入する。

理由

第一  本件控訴趣意等

本件控訴の趣意は、検察官百瀬武雄作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人名和田茂生及び同久保井摂連名作成の「答弁及び弁論書」に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

本件の公訴事実は、

「被告人は、平成三年九月三〇日(以下、同年中については年の記載を省略する。)午前四時五〇分ころ、福岡市東区和白二丁目一番四五号付近道路において、いずれも殺意をもって、

第一  A(当時五二歳)の左背部、左肩部を所携の刃体の長さ約二二・七センチメートルの柳刃包丁で二回突き刺したが、同女に入院加療一六日間を要する左背部・左肩刺創、左第八肋骨骨折、左肺挫傷の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった

第二  B(当時三六歳)の左胸部を前記柳刃包丁で一回突き刺し、よって、同日午前六時一五分ころ、同区和白二丁目一一番一七号所在の和白病院において、同女を左胸部刺創による心臓及び大動脈貫通に基づく外傷性出血により死亡させて殺害した

が、右各犯行当時、異常酩酊のため心神耗弱の状態にあったものである。」

というものであるところ、検察官の論旨は、要するに、原判決は、被告人が本件犯行当時飲酒酩酊により心神喪失の状態にあった可能性を否定できないとして、被告人の責任能力を否定し、刑法(平成七年法律第九一号による改正前のものをいう。以下同じ。)三九条一項を適用して、被告人に無罪の言渡しをしたが、被告人は、当時、少なくとも限定責任能力を有していたと認められるのであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認ひいて法令適用の誤りがある、というのである。

ところで、本件における控訴の趣意は右のとおりであるが、弁護人は、原審において、被告人と本件の犯人との同一性を争い、当審においても、原判決が破棄されることを慮って、被告人が犯人であることを認定した原判決を非難し、被告人の犯人性を否定すべきである旨強調している。しかるに、原判決は、後述のとおり、破棄を免れないものであるうえ、被告人の責任能力に関する検討は、被告人が犯人であることを論理的に前提とするのであるから、控訴理由に対する判断に先立ち、先ず、犯人と被告人の同一性について検討することとする。

第二  被告人と犯人との同一性について

一  当裁判所の判断

原判決は、被害者Aの犯人識別供述の信用性を吟味し、本件前後の被告人の言動等を併せ検討したうえ、被告人が本件犯行に及んだものと認めているが、当裁判所も、その判断に誤りはなく、その理由として原判決が詳細に説示するところも、正当としてこれを是認することができると考える。以下、被告人の犯人性を肯定すべき理由を、原判決の説示に補足して説明する。

1  Aの犯人識別供述

犯人を唯一目撃したAの原審公判廷における犯人識別供述は、原判決が理由第四・一1で要約摘示しているところであるが、真摯なものであってあえて被告人のために虚偽を述べている疑いはなく、同女の目撃状況、その供述の内容、写真面割り・面通し結果に対する信頼性等を総合考慮すれば、原判決が説示するとおり、少なくとも、同女が犯人の体格、顔の輪郭、着衣として、「犯人は、身長約一七〇センチメートル、少しやせ型で、細面の顔であり、青色か水色の長袖ジャンパー又はジャージの上着とベージュのズボンを着用し、帽子をかぶっていた。」と述べる部分について、これを信用することができ、これらは被告人の特徴や本件当時の着衣の状況と符合するものである(なお、被告人が実際に着用していたズボンは、青系統の白っぽい色をしていたが、その色は、本件現場の照明の下では、ベージュ色に見えることが認められる《Aの原審証言、原審検甲一七三号》。)ばかりでなく、同女が、本件と同じ時間帯に本件現場で行うなど慎重な配慮の下でなされた面通しにおいて、被告人が犯人であることは間違いない旨指摘していることにも、かなりの信用性を認めることができるのであって、これらの事情は被告人が本件の犯人であることを強く窺わせるものである。

2  本件犯行前後の被告人の足どり

本件前後の被告人の行動の概要は、原判決が理由第四・二1で認定するとおりであるところ、被告人は、本件前、飲酒のうえ自車を運転して外出し、本件当日の午前二時二四分ころ、福岡県糟屋郡新宮町所在のガソリンスタンドにおいて、給油したうえ缶ビールを購入し、午前三時三七分ころと午前四時二七分ころには、県道二六号線(当時)の本件現場近くのセブンイレブン白浜店(位置関係は原判決添付の別紙地図参照)に現われてそれぞれ缶ビール一個を購入したほか、その間、帰宅途中のCにつきまとう行動をとっている。すなわち、C及びDの各原審証言等の関係証拠によれば、

(一) 午前三時三八分ころ、セブンイレブン白浜店前の駐車場において、Cが友人Eと立ち話をしていたところ、被告人は、自車を運転し県道二六号線から右折して同店北側道路にゆっくり進入し、その際、Cらに、薄気味の悪い、いやらしい感じで笑いかけ、その後、同店前の公衆電話の受話器を持って、電話をかける振りをしていたこと

(二) その後、Cが、同県道を和白方向に向かって歩いていたところ、セブンイレブン白浜店から北方約二五七メートルの地点(本件現場直近のJR香椎線の鉄橋付近)まで来た際、被告人は、同女に向かって、「苦しい。助けてくれ。」等と述べながら、腹に手を当ててうずくまるような仕草をしたこと

(三) 更に、その後、同女が、右地点から同県道沿い北方約四五一メートルの地点に位置する「ほっかほっか亭」前付近に至った際、先回りしていた被告人は、電柱の陰から不意に同女の前に現われたこと

(四) そのため、同女は、和白方向に向かって走って逃げ、右地点から同県道沿い北方約二二七メートルの和白モータース前付近でEらを待っていたところ、被告人が自車を運転して同女の前を通過し、更に、同女が県道を挟んだ福和タクシー前路上に移動した際にも、二回自動車を運転して同女の前を通過したが、いずれの際も、被告人は、いやらしい、不気味な感じで同女に笑いかけていたこと

(五) 同女が、午前四時三八分ころ、福和タクシー運転手D運転のタクシーに乗り込み、自宅に向かって出発した際、和白交差点手前の路地に、被告人は自車を停車させて、運転席に座っていたこと

以上の事実が認められる。そして、被告人は、本件の約一〇分後である午前五時ころには、本件現場から直線距離にして一キロメートル余りしか離れていない福岡市東区高美台一丁目<番地略>F方付近路上において、運転中の自車を右F方ブロック塀に激突させる事故を起こしている。

すなわち、被告人は、原判決が説示するとおり、本件犯行前の一時間余りの間、県道二六号線沿いの本件現場を挟むセブンイレブン白浜店から和白モータースに至る一キロメートル弱の範囲を中心に自動車で移動しつつ行動し、また、犯行時刻の直後には、本件現場からさほど離れていない場所において、交通事故を起こしているのであって、当時人通りの少ない時間帯であることを考慮すると、被告人が本件犯行に関わった疑いを払拭することができないというべきである。

3  本件事故後の被告人の言動

関係証拠によれば、本件事故後の被告人の言動として、次の事実が認められる。

(一) 被告人は、本件交通事故の現場において、午前五時一五分ころ、集まった周囲の者に「電話をかけに行く。」と言って、自車内にあった柳刃包丁(当裁判所平成八年押第一五号の1)を持ち、近所の民家のブロック塀内側の植え込みにこれを隠匿し、また、午前七時三〇分ころには、呼び寄せた友人のGがジュースを買いに行った隙に、その自動車を運転してその場を離れ、事故現場から二九〇メートル離れた地点の排水溝に当時着用していた青色ジャージ上着を投棄したこと

(二) 帰宅したのちの午後七時ころ、被告人は、姉のH1、信者のIらに対し、同人らが右事故が人身事故ではないと説明したにもかかわらず、「僕はやっぱり人を轢いたごた。二、三人はねた。火の玉が頭の上にのっかっている。耳のまわりに人ががやがや言うとる。」「黒いのがワァーと行って、赤いのがワァーと行った。だからハンドルを切った。気が付いたら事故を起こしていた。」「何か自分は列の中に突っ込んだんじゃなかろうか。何人か轢いとりゃせんだろうか。二、三人位轢いとっちゃなかろうか。」と述べ、「酒を飲んで事故を起こして坊主として恥ずかしい。高野山に行って修行してくる。」と言い張り、翌一〇月一日午前二時ころ、信者のJの運転する自動車で高野山に向けて出発したこと

(三) 高野山に向かうに当たり、被告人は、Jに「わし逃げるけん」と述べて「高速を走ったらいかん。交通違反を起こしたらいかん。事故を起こしたらいかん。」などと指示して一般道路を走行させたほか、車内ではおおむね黙って悩んでいる様子であったが、その後飲酒を始め、途中、自己の着衣をJの作業服に着替えたり、「家の様子が知りたいから」との理由から、Jに「今高野山の入口に着いた、私は寝ていると言って下さい。」と嘘の事実を告げて自分の自宅に電話をかけさせており、その際、「両親は、ひょっとしたら死んでるかもしれない。」とも述べていること

(四) 被告人は、同日午後一〇時三〇分ころ、神戸付近で休憩中、Jに対し、「実は人をはねた。取り返しができんことをしてしまった。人を確か二、三人位、二、三回はね飛ばしてしまい、バーンという音がした。これはもう死ぬしかない。」「友達が一人自分が高野山に行くのを知っている。警察に連絡しているかもしれない。警察がひょっとしたら一五〇人位は張り込んどるかもしれん。Jさん、悪いけど、高野山にはよう行かんから、薬王寺に戻ってくれ。」と言い出し、Jが自首を勧めたところ、「自首したら二〇年の刑になる。二〇年の刑をくろうて生き恥をさらす訳にはいかん。生き恥をさらしたらX家の名誉にかかわる。だから、死ぬしかない。」と述べ、結局福岡に戻ることにしたこと

(五) 被告人は、帰途も車内で飲酒しながら、自殺をほのめかしていたが、一〇月二日午前三時すぎころ(そのころ、Jは、被告人の酒臭が最も強かったと感じている。)、高速道路を走行中、Jに停車させ、「Jさん、僕と一緒に死のうか。」「悪いけど、車ではねてくれ。僕はここに立っているから。一四〇キロのスピードではねてくれ。」と述べ、Jが拒否すると、「じゃ、いいから車貸してくれ。一四〇キロのスピードでどこかにぶつかっていくから。」、「ちょっと走ってくれ。どこかに転がって落ちるけん。」などと述べ、同日の朝方には、Jに対し、走行中に書いたJや自分の親類宛のメモ(これには「死んだ女性を供養、あなたの家からお茶を上げて下さい」「交通事故で他人に心配かけたは僧失格です」等の記載がある。当裁判所平成八年押第一五号の3ないし7)を手渡し、また、「証拠が残っとるといかんけん、高速の通行券とかは捨ててくれ。」と指示したりしていること(なお、被告人は、途中、本件当時着用していたズボンと青色ジャージ上着のズボンを投棄している。)

(六) 福岡県内に入り九州自動車道を走行中(そのころには、被告人の酒臭も消えていた。)、被告人は、「Jさん、悪いけど、やっぱり生きとく訳にはいかん。私は自殺するから、穴掘って埋めてくれ。山の方に夕方遅く連れて行って埋めてくれ。もし、私が死にきれなかったら、とどめをさしてくれ。」「自首はしない。死ぬしかない。」と述べ、直方のインターチェンジ近くに至った際には、「直方で降りる。近くで降りると両親に迷惑をかけるし、警察も張り込んでいるかもしれない。」と述べるなどし、その後、高速道路を降りたのち、被告人は、「死ぬためには、汚い服ではいけない。ナフコとかあれば止めてくれ。」と頼んだが、適当な店は見つからず、その後の同日午後二時三〇分ころ、「マキタ電動工具店」において、被告人はスコップと包丁を買いたいと述べて下車したこと(その際、Jは、被告人の言動に、自殺の道連れにされかねないとの恐怖を感じ、被告人を残したまま立ち去った。)

(七) 同日夜、被告人は、福岡市南区清水所在のI方を訪れた際、義兄

のH2、その弟のH3らに対し、「走行中に一〇人位人が見えた。それを三、四人轢いた感じだ。和白の殺人は僕のようだ。僕は人を殺した。死にたい。刃物でやったようだ。」「突然自分の目の前に大きな火の玉が現われたとその時は思った。魔物と思ったから、印をきった。それをやっても消えなかった。襲われると思ったから、それをやっつけた。」「(相手が女性かどうか)分からんけど、そういう気がする。間違いない。あれは俺がやっとう。」などと話し、その後、H2方に戻った際には、同人の母親であるH4に対し、落ち着かない様子で「人をはね殺したごたる。もう生きとれん。今も頭の上に火の玉がとまっとう。どうかなっとるごたる。僕は確かに人をはね殺した。火の玉が出てきて、その後ろから六人ぐらい出てきて三人はねた。」などと述べていること

以上の事実が認められるところ、被告人が本件事故を起こしたのちの言動は、被告人が本件犯行に及んだことを前提として初めて自然に理解することができるというべきである。すなわち、被告人が高野山行きを決意し、その途中自殺を図ろうとしているのは、被告人がその間述べているように、自分が人身事故を起こし人を死亡させたと思い込んでいたことが原因であるとは認め難い。確かに、被告人が、本件事故の際に、錯覚として人の姿を見た可能性を否定することはできないが、被告人は、右事故が物損事故であることを現場で確認し、その後周囲の者からその旨諭されているのであるから、人身事故を惹き起こした旨の誤認が継続していたものとは考え難いばかりでなく、仮に、その誤認が持続していたとしても、被告人の言動は、事故の事後処理に配慮することもなく、深夜に信者の車で高野山に向かい、その間、車内では思い込んだ様子で飲酒を続けたうえ、自殺を図ろうとする言動をとるなど、事故に対する反応としては明らかに過剰であり、不相応に強い罪悪感を抱いていたことが窺われる一方、Jに電話をかけさせて自宅の様子を探らせるなど、警察官の捜査を警戒し、長期の服役を恐れる言動をとっていることなども、単なる交通事故を念頭に置いた行動としては不可解であるといわざるを得ない。また、何よりも、被告人が、本件事故後、車内の柳刃包丁や着用していたジャージ上着を隠匿、投棄し、高野山の帰途、右ジャージのズボンと本件当時着用していたズボンを投棄する行動に及んでいることや、福岡に戻ったのち、I方で、本件犯行に及んだことを示唆、告白していることは、被告人が本件犯行に及んだことを強く推認させるものである。被告人としては、本件の犯人として検挙されることを恐れ、逃走しようとして、高野山行きを強行したが、途中逃走しきれないと考え、絶望感と強い自責の念から、自殺をするなどと口走り、また、自己の行為を秘匿しようとしながら、これを隠し通すことの負担に耐えきれず、自分が起こした物損事故と関連付けて人を轢き殺したと述べていたが、遂には、H2らに対し、本件犯行に及んだことを告白するに至ったものとみることが、被告人の言動に対する理解として最も自然であると認められる。

4  結論

以上のAの犯人識別供述、本件犯行前後の被告人の足どりやその言動等に加え、被告人の捜査段階及び原審公判段階における供述、すなわち、その内容には変遷があるものの、おおむね、本件犯行当時の出来事に関して健忘を主張しつつ、本件犯行に及んだことについては幻覚様の異常体験を述べるものであって、本件犯行に及んだことを積極的に否定するものではないこと(原審第一六回公判においては、被告人は、現在では自分が和白での事件《本件》に関与したのではないかとの思いを持っている。客観的にみると、自分ではないかと思う旨述べている。)などをも併せ考慮すると、被告人が本件の犯人であると認めることができる。

二  弁護人の主張の検討

進んで、弁護人が被告人の犯人性を否定すべき事情として主張する事項について検討する。

1  帽子着用の有無について

先ず、所論は、Aの原審証言によれば、本件の犯人は、正面から見て角張った帽子を着用していたとされているが、被告人が、本件の前後に帽子をかぶっていた事実はなく、周辺の入念な捜索にもかかわらず、帽子は発見されるに至っていない、もっとも、被告人は甥から譲り受けた帽子を持っていた可能性があるが、その形状は頭頂部分が丸くなっていて、Aのいう形状とは異なるものであって、被告人が犯人であるとは認めがたい、というのである。

しかし、原判決が説示するとおり、被告人は、甥から帽子(原審検甲一一七号添付の写真写し参照)を譲り受けて、釣りに行くときなどにこれを着用し、普段は自車のトランク内等に保管していたことが認められるのであり、被告人が、本件犯行に当たって、事前にこれを取り出して着用し、本件犯行後に、これを隠匿又は投棄した可能性が十分に考えられる。すなわち、被告人が犯人であるとすれば、被告人は、後示のとおり、自車を現場から離れた場所に停めたうえ、包丁を手にして攻撃の相手を探しながら自車を離れたものと推認されるのであるが、被告人が、事前に、自車のトランク内に保管していた本件包丁(原審検乙七、八号)を持ち出す際に、多少とも自らの顔を隠す意図で右帽子を着用したとすれば、その経緯は自然に理解することができる。また、被告人は、前示のとおり、本件後、現に、本件包丁やジャージ上着を隠匿しているほか、高野山の帰途、右ジャージのズボンや本件当時着用していたズボンを投棄しているうえ、被告人が従前持っていた右帽子が、本件後発見されていないことからしても、被告人がこれを隠匿、投棄した可能性もまた十分肯定される。なお、右帽子の形状は、所論のいうとおり、Aの述べる形状とは異なっているが、この点についても、原判決が説示するとおり、かぶり方や目撃状況によって、その形状が異なって見えると考えられ、Aにおいては、本件の具体的状況の下で正確に帽子の形状を確認し得なかったものとも考えられる。

そうすると、帽子に関する所論指摘の事情から、被告人の犯人性を否定すべきものとはいえない。

2  本件包丁への血痕付着の有無について

所論は、被告人が本件事故後隠匿したとされる本件包丁には、血痕の付着が証明されておらず、右包丁が本件犯行に使用されたものであるとの証明はない、というのである。

確かに、本件包丁に対する血痕付着の有無を鑑定した結果(原審検甲七六号)によれば、ロイコマラカイトグリーン呈色試験により、その刀身中央部付近が陽性の反応を示し、同部分に血痕の付着が疑われるものの、それを証明するまでには至っていないことが認められる。しかし、本件の被害者であるBの創傷から推定される兇器の形状は、本件包丁のそれと矛盾せず、同女の着衣の損傷は本件包丁によって形成可能であること(同検甲六、九、八八号、当審検一八号)、前示のとおり、被告人の言動等からして、被告人が本件犯行に及んだことが強く推認され、とりわけ、被告人は、本件事故直後に本件包丁を近くの民家に隠匿していることなどに照らすと、被告人が右包丁を使用して本件犯行に及んだものと認められるのであり、本件包丁に血痕が検出されなかったことは、本件包丁が、発見されるまでの間約八〇時間以上にわたり、民家ブロック塀脇の植え込みの下に放置され(原審検甲七一号)、その間風雨に晒されていたこと(福岡管区気象台において、その間の総雨量として約七四ミリメートルが観測されている。同検甲九一、九二号)を考慮すると、原判決が説示するとおり、本件包丁に付着した血痕が雨に流された可能性が高いと考えられ、更に、被告人自身が包丁の血痕を拭い取るなどした可能性も否定できないのであり、現に、豚の心臓を刺した八本の包丁のうち、六本につき一時間三ミリメートルの降雨状態に相当する霧状の水を二四時間かける実験をしたうえ、血痕付着の有無をロイコマラカイトグリーン呈色試験により検査したところ、二本の包丁が陰性であるとの結果が得られているのであって(同検甲九三、九五号)、本件包丁に血痕の付着が証明されていないからといって、本件包丁が本件犯行に使用されたことを否定する理由とはならないというべきである。

所論は、右実験は、本件犯行の形態、本件包丁の状態、その隠匿状況、降雨の状況等を正確に再現したものではないから、この実験の結果をもって、本件包丁が本件犯行に使用された根拠とすることはできない、と主張している。しかし、所論指摘の点につき、実際の状況を正確に再現することは、未確定の要素(包丁隠匿現場における降雨の状況、被告人が包丁の血痕を消し去るための行為を施した可能性等)もあって甚だ困難であると考えられるだけでなく、右実験の際に設定された条件は、当時の客観的状況や考えられる犯人の行動等を不当に逸脱したものということはできず、その条件下において、二本の包丁につき血痕が検出されなかったことは、本件包丁が本件犯行に使用されたとしても、当時の具体的状況の下において血痕が消失する可能性を示すものとしての意義を有するというべきであり、その限度において右実験及び検査の結果を証拠として用いることに差し支えはないというべきである。

3  上着及び車内の血痕の有無について

所論は、被告人が犯人であるとすれば、犯行の際返り血を浴びたとみられるにもかかわらず、被告人が本件当時着用していた上着に血痕の付着がなく、また、被告人は、犯行後包丁を自動車内に置いたと考えられるにもかかわらず、被告人が運転していた自動車内から被害者の血痕が検出されていないのは不自然である、というのである。

そこで、検討するに、鑑定書(原審検甲一〇八号)によれば、被告人の上着には、血痕予備検査(ルミノール試薬検査、ロイコマラカイトグリーン試薬検査)により血痕の付着が疑われる箇所が四か所発見されたが、検体が微量であったためその証明が得られるまでに至っていないことが認められ、右の箇所が本件被害者の血液が付着したものであると断定することはできないものの、反面、これを確定的に否定するものでもないばかりでなく、そもそも、原判決が説示するとおり、人の心臓や動脈部分を刃物で刺したからといって、常に返り血を浴びるとはいえず、関係証拠によれば、本件当時、被害者のAはTシャツの上にジャンパーを着用し、Bはブラジャー、タンクトップ、トレーナーを着用し、その上から刺突されたことが認められるのであるから、被害者の着衣によって血液の飛散が妨げられ、しかも犯人が、右両名を刺したのち即座に両名の身体から離れたこと(Aの原審証言)によって、血液の付着を免れたものとも考えられるのである。

また、関係証拠(原審検甲五六、八三、八五、九〇号等)によれば、被告人が本件当時運転していた自動車及び同車内の紙おむつ等一三か所に人血の付着がみられ、その内一一か所はABO式でA型の血液型であり、内四か所はホスホグルコムターゼ型では1+2+型であると断定されていること、なお、被告人及びAの血液型はA型(ホスホグルコムターゼ型によればAは1+1+型)であり、BはAB型であることが認められ、被告人の自動車内等から被害者のものと思われる血液は検出されていないのであるが、原判決が説示するとおり、証拠上、本件犯行後に本件包丁が車内に持ち込まれ、車内に置かれた際の状態等はまったく不明であって(この点に関する被告人の供述が信用し難いことは、原判決が説示するとおりである。)、包丁の血痕が拭いとられ、あるいは何かに包まれて車内に持ち込まれた可能性等、諸種の状況が考えられるのであるから、被告人の自動車内等に被害者の血痕の付着がないことが、不自然であるとはいえない。

4  結語

以上のとおり、被告人と犯人の同一性に関する弁護人の所論を採用することはできない。

第三  被告人の責任能力に関する検察官の控訴趣意について

一  被告人の本件犯行前後の行動、供述の要旨等

被告人の身上、経歴及び本件犯行前後の行動等は、前示認定のほか、おおむね原判決が理由第五・一で説示するとおりであり、本件犯行及びその前後の行動等に関する被告人の供述の要旨は、次に掲記するほか、原判決が同第五・二で要約摘示するとおりである。

1  一〇月八日付け警察官に対する弁解録取書(当審検九号)

(本件犯行は)私がしたようにも思いますが、よく考えます。交通事故を起こしたことは覚えております。

2  一〇月一〇日付け検察官に対する弁解録取書(当審検一〇号)

(本件犯行は)自分がやったことだろうと思います。ただ、当時大分酒に酔っていて、断片的な記憶しかありません。

私が覚えているのは、私の運転していた車の助手席の下の床の上に、魚釣りに持っていくさびた、しかし先のとがった包丁が置いてありましたが、それを手に持って通行人をひやかしてやろうという気持ちがあったこと、そして、その包丁を右手に持っていたところ、私の目の前の方を通った人があって、その人をその包丁を振り回して、ひやかしてやろうと思ったこと、そして、実際その人に向けて確か包丁を振り回したと思いますが、包丁がその人の身体に当たったことなどです。私がそうすると、相手の人がヒャーと声を出したと思いますが、それでこわくなって、車に乗って逃げました。

逃げた方向は判りませんが、途中、人が歩いていると思ってハンドルをきったか、ブレーキを踏んだか、今のところ思い出せませんが、何かにぶつかってしまいました。事故後、人を切ったかした包丁が、助手席の方にあったので、それを見て、こわくなり、それをどこかに捨ててしまいました。着ていた青色ジャージも一緒に捨てたように思いますが、別々だったかもしれず、その点記憶が今のところははっきりしません。

3  なお、被告人は、一〇月九日の警察官の取調べ時には、「霊界の世界に入って意識もうろうの中で、四、五人刺した感じもします。くらげの六本足の魔物を退治せよという指令が来ました。それを切りつけるためにやりました。」などと述べていたが、翌日の検察官の取調べ後、自ら警察官に面会を求め、警察官に対して「実は、魔物といっていたのは嘘で、人間でした。しかも女性でした。包丁で刺しました。」と述べた(島伍助の原審証言)。

二  鑑定意見等

本件においては、本件犯行当時における被告人の精神状態につき、捜査段階において医師小田晋により、原審公判段階において医師仲村禎夫により、当審において医師福島章により鑑定がなされている。

1  小田鑑定の要旨は、原判決が理由第五・三で摘示するとおりであり、その結論は「本件では幻覚が犯行を支配していたとは考え難いが、本件犯行が被告人の人格から了解可能であるとはいい難いうえ、被告人は、本件犯行前後にはアルコール依存症の離脱性幻覚が出没している状態にあった(鑑定書では「犯行当時」の状態として記載されているが、小田証人の当審証言によれば、その記載は、主として、本件犯行後入院時における被告の幻視、幻聴の訴えを念頭において記載されたものであることが明らかである。)のであり、犯行当時は定型的な複雑酩酊ともいえないが、不全型の異常酩酊状態(複雑酩酊と等価の状態)にあった。犯行当時、被告人は、事理を弁識し、弁識に従って行為する能力を喪失してはいなかったが、それが著しく障害された状態にあった。」というものである(同人作成の鑑定書、同人の原審及び当審証言)。

2  仲村鑑定の要旨は、原判決が理由第五・四で摘示するとおりであり、その結論は「本件犯行当時、被告人には幻覚等の病的体験が存在していた可能性を否定することができず、病的酩酊(もうろう型)に近い状態にあった。」というものである(同人作成の鑑定書、同人の原審証言)。

3  更に、福島鑑定の要旨は、次に摘示するとおりであり、その結論は、「被告人は、本件犯行当時、微酔程度の単純酩酊状態であり、自分の行為の是非善悪を弁識する能力及びこの弁識に基づいて自分の行動を制御する能力にほとんど障害がなかった。」というものである(同人作成の鑑定書、同人の当審証言)。

(一) 被告人は、本件犯行の五五分後に飲酒検知を受け、呼気中のアルコール濃度が一リットル当たり〇・二五mg(血中濃度五〇mg/)であると測定されており、被告人のアルコール排泄速度(減退率)は小田鑑定による飲酒試験の結果一一mg/・hであることが判明しているので、これらにより本件犯行当時の被告人の血中アルコール濃度を計算し、誤差を考慮すると四九ないし七五mg/という値が求められ、病的酩酊、複雑酩酊が発現する可能性のまったくない微酔程度の酩酊度であった。酩酊時の精神状態は、行為者に側頭葉てんかんの負因がある場合を除いて、血中アルコール濃度によって規定され、血中アルコール濃度二〇〇又は三〇〇mg/以上は責任無能力、一五〇又は二五〇mg/以上は限定責任能力、それ以下は完全責任能力に該当する。

(二) 被告人は、本件犯行前、アルコールによる抑制解除の徴候が窺われるが、運動失調、言語障害、興奮、了解不能な言動はなかった。犯行後においても、本件包丁や上着を隠匿していることなどは、意識障害の欠如、見当識の存在、本件犯行の記憶の存在を示している。本件事故は、本件犯行後の情動の興奮や焦りなどによるものと考えられ、「火の玉云々」は被告人の作話である可能性も否定できない。そして、被告人は、犯行の前後に正常で合理的な行動をとっており、この間に挟まる本件犯行の時点だけに、精神病的体験ないし意識障害があり、心神喪失の状態に陥っていたとは考えられない。本件犯行時の被告人の行動は、秩序立った行動で、外界の正確な知覚を前提とするのでなければ考えられず、当時、被告人がもうろう状態にあったり、幻覚に支配されていたとは考えられない。被告人は、本件犯行当時の健忘を供述する一方、鯨等の幻覚を見たとも供述しているが、この二つの供述は明らかに矛盾するものであり、被告人の幻覚体験に関する供述は、単なる「不注意錯覚」にすぎないか、空想的な作話であると考えられる。

(三) 被告人には、「完全な健忘」がみられず、「内因性(中毒性)の不機嫌」が生じていた可能性も低く、「精神運動性興奮への傾向」の存在も否定されるうえ、本件犯行の動機については、被告人の強い依存性や愛情欲求の不満が攻撃性と化し、八つ当たり的に通りがかりの女性に向けられたものと考えられる。被告人が在籍した高等学校の生活指導要録、小田・仲村鑑定の心理検査及び脳波検査(過呼吸時の高電圧徐波の出現)の結果は、被告人に攻撃性、衝動性の強さが潜在していることを示しており、これを誘発するような欲求不満の状況も犯行直前に認められているので、本件犯行はむしろ被告人の人格と親和的な行為と評価すべきであって、犯行の動機は了解可能であるから、被告人が病的酩酊の状態にあったとは診断できない。

(四) 被告人は、本件犯行後において、幻視、幻覚、錯覚等を訴える異常な言動をしているが、そのような言動は、すべて本件犯行後にみられるものであることに注意する必要がある。被告人の訴えは、犯行後の状況からの逃避、ストレスに対する心因反応によるものともいえるが、積極的な詐病であったと考える方が妥当であろう。三善病院で、入院中の被告人を診察した田代九州大学教授は、被告人が病気ではないと見抜いている。

4  ところで、弁護人は、福島鑑定人は、検察官の控訴趣意書作成に関与しており、控訴趣意書は、実質的には、同鑑定人がその大半の草稿を作成したと評価できるものであり、鑑定人として公正・中立な立場になく、その適性を欠いていたものであるうえ、鑑定内容にも公正・中立性を疑わせる箇所が散見されるのであるから、福島鑑定の証拠価値を否定すべきである、というのである。

確かに、福島の当審証言によれば、同人は、検察官が本件控訴趣意書を作成するに当たって、事前に、控訴趣意書の草稿、小田及び仲村作成の各鑑定書、原審判決書の送付を受けて、これを検討し、検察官に対し、自己の意見を用紙(B5)三ないし七枚程度にメモして送っており、本件控訴趣意書の記載中に、同人作成の鑑定書と類似の表現が散見されることが認められるけれども、控訴趣意書作成上の必要から検察官が既に意見を聴いた者に対して、裁判所において鑑定を命じたからといって、その鑑定により得られた結果を、一概に、公正・中立性を害するとして排斥すべきものとはいえず、福島鑑定人は、鑑定に当たり、鑑定資料として、事前に示された右書類のほか多数の証拠書類を改めて検討し、その結果提出された鑑定意見も、専門家による一個の見解として傾聴すべきものと考えられ、同鑑定人がことさら検察官の主張に迎合して鑑定をなしたとの証跡もないのであるから、弁護人が主張する事情から、福島鑑定の信用性を否定すべきものとはいえない。

三  被告人の精神状態

被告人の犯行前後の言動、その供述の経過及び内容等に基づき、鑑定意見を参酌しつつ、先ず、被告人の精神状態に関する主な問題点について、以下に考察することとする。

1  被告人の酩酊の程度について

関係証拠によれば、被告人は、本件前夜、外出する前自宅で日本酒二、三合を飲んだことが認められるほか、本件当日の午前二時二四分ころガソリンスタンドで買った三五〇ミリリットル入りのビール一缶と、セブンイレブン白浜店で午前三時三七分ころと午前四時二七分ころ買った同じくビール計二缶をその後飲んだことは推察されるが、そのほかに外出前自宅でウィスキーを飲んだのか、その量はどの程度であったかは必ずしも明確でなく、被告人も本件前夜からの飲酒状況について確たる供述をしていないので、結局被告人の本件前の飲酒量を確定することはできず、飲酒量をもとに本件犯行当時の被告人の酩酊の程度を認定することはできない。

次に、福島鑑定も挙げるように、被告人が、本件犯行の約一時間後である午前五時五〇分ころ、本件交通事故を起こしたことを理由に警察官から飲酒検知を受け、呼気中のアルコール濃度が一リットル当たり〇・二五mgであると測定されたことは客観的事実であるから、このことを基に犯行当時の酩酊の程度を推測するのは合理的であると考えられ、福島鑑定が、右数値をもとに被告人のアルコール排泄速度(減退率)をも計算に入れて、犯行当時の血中アルコール濃度を四九ないし七五mg/という値を求め、この数字自体微酔程度の酩酊度を示すものであるとしたことについては、それなりに信用性のある判断と思われる。ただ、警察官が交通事犯の被疑者に対して行う呼気検査は、酒気帯びの程度の如何が犯罪に直結することから、測定結果について控え目の値を出すこともままあるものと思われるうえ、右検知の際の観察によれば、被告人は、酒臭、顔色、言語・態度等からして中等度酩酊が疑われる酔いの状況を呈していたのである(原審検甲五八号、福島の当審証言)から、本件犯行当時の酩酊の程度は福島鑑定による数値より幾分上回るとするのが相当と考えられる。

そして、右飲酒検知結果による推認のほか、後示の被告人の犯行前後における客観的行動、記憶の程度等からすれば、被告人の本件犯行当時の酩酊の程度は、福島鑑定のいう微酔の範囲内にあったかは疑問であるとしても、さほど高くなかったことは疑いのないところといわなければならない。

2  被告人の行動について

(一) 本件犯行前の行動

被告人の本件犯行前の行動についてみるに、被告人は、飲酒したうえ自動車を運転し自宅を出ているのであるから、飲酒により抑制が解放された状態にあったものと認められるものの、本件犯行の約二時間半前にガソリンスタンドに寄って給油した際には、疲れている様子ではあったが、店員が「いくら入れますか。」と尋ねると、「一〇リッター」と答え、給油後、「いくら」と尋ねて代金として一五〇〇円を渡し、更に五〇〇円を追加して「ビール買うてやらんね。」と述べ、店員からビール二缶(三五〇ミリリットル入り)と釣り銭を受け取ったのち、「あんたにやる。」といって、店員にビール一缶を与え、同所を立ち去っており、その間、店員と正常に応答しているのであって(原審検甲三三、三四号)、異常な酩酊の状態にあったとは認められない。また、その後、犯行の一時間十数分前と二十数分前に、セブンイレブン白浜店において、二度にわたり缶ビール各一個を購入した際も、店内に入ったのち、迷うことなく缶ビール陳列棚に向かい、缶ビールを取り出して、そのままレジに行き、店員と正常に対応して代金を支払いこれを購入しているのであり(ビデオテープ《当裁判所平成八年押第一五号の10、11》等)、更に、その間のおよそ一時間、被告人がCにつきまとう行動をとっているのは、やや奇妙な行動であるとの感を否めないが、飲酒による抑制力が解除された状態においてとる行動として不自然なものではなく、被告人は、Cが帰宅する方向を認識しつつ、先回りして同女の前に現われているのであって、被告人の意識、見当識が格別に阻害されたものとは認められない。

(二) 本件犯行後の行動

犯行後の行動についてみても、被告人は、本件犯行後、自ら自動車を運転して犯行現場を離れ、犯行の約一〇分後、自宅に向かう道筋において事故を惹き起こし、その事故のあと、事故の現場において、集まってきた付近の住民に対して、「どうもすみません。朝早うから。」「警察には言わんで下さい」などといって一人一人頭を下げて謝り、また、事故現場付近の公衆電話から友人のGに電話をして、「ちょっと事故を起こしたから、ロープを持って来てくれんかな。」と頼み、同人が場所を尋ねると、「ちょっと分からんばってん、平田ナーセリーの近くだ。」「とにかく探しながら来てくれ。」と告げるなどしている(原審検甲一一一号)のであって、見当識を有し、意識障害もなかったものと認められるのである。加えて、前示のとおり、被告人が、事故後、その現場近くの民家に本件柳刃包丁や当時着用していたジャージ上着を隠匿、投棄していることに徴し、基本的に本件犯行に及んだとの記憶を有していたものと認められる。このように考えると、被告人が、事故現場に臨場した警察官から、飲酒検知のため風船を吹くよう求められた際、Gに対し自分に代わって吹くよう頼むという、やや不自然とも思われる行動をとっているのも、自己の飲酒運転の責任を免れようとの意図に出たものと理解され、格別異常な行動であるとはいえない。

ところで、被告人は、本件事故の現場において、Gや姉のH1に対し、事故の原因として、「目の前に人影を見て、それを避けたらぶつかっとった。」と述べている(のちには、被告人は、前示のとおり、事故時に「火の玉」が現われたと述べ、事故により人を死亡させた旨を言い張るようになった。)が、被告人が、実際に人を避けようとして本件事故を起こしたものとは証拠上認められないところである(まして人身事故を起こしたとの供述は事実に反する。)。この点については、被告人が、事故時に、本件犯行を犯したことによる情動的興奮・緊張等に加え、飲酒の影響もあって、錯覚として人影等を見た可能性を否定することはできない(小田鑑定)ものの、被告人の右行動等に照らせば、被告人が、幻覚として人影等を見るという異常体験をした可能性は乏しいというべきである。

そして、被告人が本件事故現場から帰宅したのちの言動は、前示のとおりであり、その言動は本件犯行の発覚を恐れたことなどによる行動であると理解することができるのであって、被告人は、本件犯行に及んだことを自覚認識していたものと認められる。

3  被告人の健忘について

(一) 健忘の有無

被告人は、捜査段階以降、自分が本件犯行に及んだことを認め、あるいはそのことを前提としながら、犯行の具体的な経緯や態様を語ることなく、基本的には、ガソリンスタンドで給油したころから、本件事故を起こすまでの間の出来事を想起することができない、と供述している。

しかし、既にみたとおり、本件犯行直前の被告人の行動からは、被告人に意識障害、見当識障害を認めることはできないというべきであり、また、本件事故後の行動からも、これらの障害を疑うことはできず、少なくともその時点においては、被告人が、概括的にしろ、基本的に本件犯行を自覚し、これを想起できていたと認めるほかはない。確かに、被告人の供述内容等に徴すれば、被告人が本件犯行の状況を具体的に細部まで記憶し得ていたとはいい難い状況が存するものの、被告人が、これをまったく覚えていないというのは、小田鑑定が指摘する被告人の供述傾向(空想虚言的傾向、作話的傾向)に徴し、虚偽の供述をしている可能性を否定できず、もし、供述時に被告人が真実本件当時の記憶がないのであれば、思い出したくないことを思い出さないという人間性一般の属性としての抑圧による健忘や、被告人が高野山に向かう途中及びその帰途飲酒を続け、逮捕前精神病院(三善病院)に入院して投薬を受け、その間相当の期間が経過したことによる健忘(小田・福島鑑定)等が考えられ、被告人の健忘が、犯行当時病的酩酊によるもうろう状態にあった可能性等、病的な精神状態を示唆するものということはできない。

(二) 原判決の検討

原判決は、本件犯行前後の行動のほとんどを想起できないという被告人の弁解が真実である可能性が高いとして、<1>小田鑑定が指摘する被告人の空想虚言的傾向は、体験しないことを体験したかのように供述する場合には妥当するとしても、体験したことにつき体験していないかのように述べる被告人の供述を、虚偽であると判定する根拠となるか甚だ疑問であり、<2>被告人が、本件後、親族らに自分が犯人であることを示唆、告白し、捜査官らに対し、本件包丁等の隠匿を認める供述をしているところからして、被告人に、自己に不利益な事実を隠匿しようとする心理規制が強く働いていたことは考えられず、<3>もうろう状態で犯行に及び、本件事故によって愕然として覚醒水準が上昇し、車内に包丁を発見し、これが本件犯行の漠然とした記憶と結びついて、隠匿する行為に及んだという可能性を否定できず、<4>また、親族らに対する本件犯行の告白も、具体性を欠くものであって、本件犯行の漠然とした記憶が、帰宅後テレビによる本件の報道と結び付いて、自分が犯人ではないかとの思いが強まり、これを受け入れる心境に至ったことによるものである、と説示している。

(1) しかし、小田鑑定がここでいう「空想虚言的傾向」の特徴とは、自分の虚言を自分で真実であるように思い込んでしまう傾向、すなわち、本件に即していえば、本件犯行に及んだ被告人が、助かりたい一心で、本件犯行につき、健忘や幻覚の存在等を次々と供述するうちに、次第にこれを真実だと思い込むようになるという傾向を意味するのであり(小田の当審証言)、その妥当性を、体験しないことを体験したかのように供述する場合に限定すべきものとはいえず、現に、被告人の供述は、本件犯行当時の出来事を覚えていないといいながら、幻覚を見たという、健忘の供述とは一見矛盾する体験を述べ、右幻覚体験の内容も、後示のとおり変遷がみられることなど、右の傾向を窺うことのできる経過をたどっているのであるから、被告人の空想虚言的傾向を、健忘に関する被告人の供述が虚偽であることの根拠として挙げることは相当の理由があるというべきである。

(2) そして、被告人が、本件後、親族らに自分が犯人であることを示唆、告白しているのは、前示のとおり、被告人が本件犯行を隠し通すことの心理的負担に耐えかねて、心を許すことのできる義兄らに犯行の一端を打ち明けたものとみることができ、本件包丁等の隠匿を認める供述をしたのも、被告人が、事故現場近くから、本件包丁等が発見されたうえ、被告人が本件包丁を隠匿した直後には警察官と出会っているところから、これを隠し通すことができないと観念した結果であるとも考えられるのであるから、これらの事実をもって、被告人に本件犯行を隠蔽しようとする心理規制がさほど働いていなかった証左であるということはできない。また、原判決は、被告人が、本件犯行当時、もうろう状態にあった可能性があるとしながら、被告人に本件犯行の漠然とした記憶があったことを否定できないというのであるが、本件犯行時の被告人の行動は、後示のとおり秩序立った無駄のないものといわざるを得ないのであって、被告人がもうろう状態にあったとは、にわかに認めがたいのみならず、原判決が、被告人に本件犯行の漠然とした記憶があったというのは、つまるところ、被告人が本件犯行当時もうろう状態にあったことと矛盾する行為(本件包丁等の隠匿、本件犯行の告白)を合理的に説明しようとするものとみられるが、いかにも便宜的であるとの感を免れない。

(3) したがって、被告人の本件犯行に関する健忘が真実である可能性が高く、被告人は犯行当時もうろう状態にあった可能性があるとする原判決の見解(及びこれと同趣旨の仲村鑑定)は、これを採用することができない。

4  幻覚体験について

(一) 被告人の供述の信用性

次に、被告人は、本件犯行時に幻覚様の体験をしたと供述しているので、本件犯行に関する被告人の供述の経過を概観するに、被告人は、本件犯行につき、既に一〇月二日義兄H2らに対し、「突然自分の目の前に大きな火の玉が現われたと思った。魔物と思ったから、印を切った。」と述べ、逮捕当日である同月八日の警察官による弁解録取時には、「殺人事件は覚えていない。私がしたようにも思う。」と明確には認めていなかった(当審検九号)ものの、その後、本件犯行に及んだことを明言するに至り、「本件犯行を自分がやったことは認める。酒を飲んでいたため暝想の中で泳いでいるような状態だった。」(同月九日・原審乙二号警察官調書)、「自分がやったことだと思う。包丁を手に持って、私の目の前を通った人に向けて確か包丁を振り回し、包丁がその人の身体に当たった。」(同月一〇日・当審検一〇号検察官に対する弁解録取書)、「鯨のような魔物に切りつけたという話は作り話だった。私が人を死なせた犯人であることは間違いなく、人を人と知った上で包丁で死なせた。」(同日・原審検乙四号検察官調書)などと供述し(但し、その間、同月九日ころの警察官の取調べ時には、「霊界の世界に入り、意識もうろうの中で四、五人刺した感じがする。くらげの六本足の魔物を退治せよという指令が来たので、それを切りつけるためにやった。」などと述べていたが、翌日の検察官の取調べ後、警察官に対しても、「実は、魔物といっていたのは嘘だった。女性を包丁で刺した。」と述べている《警察官島伍助の原審証言》。)、勾留質問時にも、「刃物を手にして人の体に当てたことは覚えている。刃物が人の体に刺さったかどうか分からない。人を殺そうという気持ちはなかった。」(原審検乙五号)と述べている。ところが、小田鑑定の際の問診時には、「鯨のようなくらげのような物体をみた。」との供述をし(もっとも、その供述は必ずしも定まったものではなく、他方で、ワゴン車で自分を連れ去った男の存在を述べ、これが犯人であるかのような供述もしている。)、その後平成四年三月一二日の検察官の取調べにおいては、「左の方から私の方に向かって迫って来る黒い影のようなものがあった。この影は、鯨のような形をし、長さが三ないし五メートルあり、高さが二メートル位あった。それに何本か足があるように見えた。それで、テレパシーと思うが、魔物だから退治せよという声が聞こえてきた。それで、包丁を使って魔物を退治した。」(原審検乙一〇号)と述べ、その後、原審公判廷や仲村鑑定の際の問診時において、おおむね「暗闇の中を、何かどろっとしたような中を泳ぐように動いたという記憶しかない。後ろの方から何か鯨かくらげの魔物のようなものが覆いかぶさるように感じたので、あわてて包丁を持って車の外に出て、包丁を振り回したような気がする。」と述べるに至っている。

被告人が、真実幻覚として魔物を見た体験を有するのであれば、その事実は、より明確に一貫性をもって語られてしかるべきであると思われるにもかかわらず、被告人の供述は、途中幻覚体験が虚偽であると述べるなど一貫性がないうえ、幻覚体験に関する供述についてみても、出現した幻覚が「火の玉」「六本足のくらげ」「鯨のような黒い影の魔物」「鯨ないしくらげの魔物」などと述べていて必ずしも一定しておらず、また、これが出現した態様についても、「突然目の前に(火の玉が)現われた」「左の方から迫ってくる(黒い影)」「後ろの方から(鯨かくらげの魔物のようなものが)覆いかぶさるように感じた」などと動揺を示しているうえ、これに対する攻撃の態様として述べるところも、「魔物と思ったから、印を切った。」「退治せよという声ないしテレパシーに従って魔物を退治した。」「魔物のようなものが覆いかぶさるように感じたので、あわてて包丁を持って車の外に出て振り回した。」というのであり、真実幻覚を体験した者の供述としては、変遷が多く一貫性を欠いているのであって、被告人の空想虚言的傾向、作話傾向に照らしても、被告人の幻覚体験に関する供述の信用性は乏しいといわざるを得ない。

(二) 原判決の検討

原判決は、被告人は、病的酩酊下において一種の視野狭窄に陥り、Bが、傘を高く掲げたAを後部座席に乗せ、自転車を踏んで近づいてくる情景を見て、これを被告人が供述する鯨のような黒い影(原審検乙一〇号)と知覚したものと考えられるのであり、被告人の述べる幻覚体験を虚偽と断定することはできない、というのである。

しかし、本件の犯行態様をみると、Aの原審証言、実況見分調書(原審検甲一五号)等の関係証拠によれば、被告人は、被害者らが、県道二六号線上を自転車に二人乗りして南に向けて進行し(Bが自転車を運転し、その後部荷台にAが左を向いて座り、傘をBにさしかけていた。)本件現場付近にさしかかった際、本件包丁を右手に持って、いきなりAの背後からその左背部及び肩部を二回突き刺したところ、驚いて路上に飛び降りたAが、本件包丁の刃先を同女に向けて構えていた被告人に対し、左手に持っていた傘を横に振って抵抗しようとしたため、やや後退したところ、同女が逃げ出したので、その隙に、自転車を降りて立っていたBの左胸部を、体当たり状に突き刺したうえ、北(和白)方向に向かって走り去ったこと(Aは、本件現場から約一三四メートルの地点で走り去る被告人の姿を見失った。)が認められる。被告人は、その後自車を運転して本件事故を起こしており、被告人が、本件犯行後、現場付近に自動車を取りに戻った形跡はないのであるから、被告人は、本件現場から離れた地点に自車を停めていたと認めることができる。してみると、被告人は、事前に、本件包丁をトランク内から取り出して本件現場に至ったとみるほかはないが、被告人が包丁を取り出した時点において、既に幻覚等に支配されていたと認めるに足りる証跡はなく、被告人が、本件包丁を取り出した理由は、必ずしも明らかではないが、いずれにしろ、被告人は、包丁を手にして、攻撃の相手を探しながら自車を離れて本件現場に至り、被害者らが通るのを待って、本件犯行に及んだとみることができるのであって、自分の前に現われた鯨の魔物を退治するために包丁を振るったという、被告人が述べる幻覚体験は、このような被告人の現実の行動と整合しないものというべきである。のみならず、本件犯行自体の態様についてみても、被告人がいうように「魔物を退治するために」包丁を振るったにしては、被告人の行動は、むやみに包丁を振るうといったことはなく、Aを背後から刺突したのち、同女から抵抗を受けるや、攻撃をBに向けてその左胸部を一突きし、即座に走り去っているのであって、むしろ事態に即応した無駄のない秩序立った行動というべきであり、被告人が供述するような幻覚等の異常体験に支配されて、本件犯行が行われたと認めることはできない。

5  了解可能性について

本件犯行の動機についてみるに、これを直接裏付ける証拠はないが、小田鑑定においては、被告人は、当時宗教法人化についての経済的・宗教的悩みがあったほか、かねて性的な愛情的・依存的欲求不満を潜在させていたところ、飲酒により抑制がとれた状態で、Cにつきまとうなど甘えかかりの行動をとったものの、Cに拒否されたため、欲求不満が攻撃性に転化し、本件犯行によりその攻撃性の解消を図ったものであると、と指摘されており、福島鑑定もこの見解を支持している。右見解は、小田・仲村鑑定による心理検査等の結果において、被告人の人格の未熟性、攻撃性、衝動性等を示す所見が得られていること、被告人が、当時、自分が主宰する宗教の法人化に伴う教義の確立、本堂の建設、そのための土地取得の問題等に関して悩みや不満を抱えていたこと(このこと自体は被告人も原審で認めているところであり、本件当時飲酒量が増えていたことも、右悩みや不満があったことを裏付けているともいえる。)、前示のとおり、犯行前に、Cにつきまとう行動をとったものの、同女に拒否されていること、その後犯行までの間に、本件包丁を取り出し、被害者らが通るのを待って本件犯行に及んでいることなど、これを裏付けるに足りる事情が認められるうえ、他に考えられる動機が見当たらないことからして、「蓋然性の高い推定」(小田鑑定)、「被告人の行動を了解する一筋の道」(福島鑑定)として相当の説得力を有するということができる。

もっとも、小田鑑定は、右見解の前提として、被告人が、当時、宗教法人化に伴う悩みのほか、結婚問題等の悩みを抱えていたことを挙げているが、結婚問題について、被告人は、当時意中の女性がいて結婚を考えていたというものの、そのことを具体的に述べようとせず、甚だ曖昧で明確を欠いており、他の証拠によってそのことが裏付けられている訳でもなく、被告人が、当時、結婚の問題を深い悩みとして抱え、愛情的・依存的欲求不満を強く抱いていたとまでは認めることができず、本件の証拠上、小田・福島鑑定の見解をそのまま是認することはできない。しかしながら、被告人の結婚問題を捨象して考えても、前示の事情に照らせば、少なくとも、被告人が、飲酒により抑制が解除された状態において、宗教上の悩み、不満の解消として、Cに対してひやかし的につきまとい、Cの拒否的態度によって攻撃性が生じたものと認めることには、十分な合理性があるというべきである。被告人が、捜査段階の比較的早い時点において、通行人をひやかしてやろうという気持ちから包丁を右手に持って振り回した旨述べていること(当審検一〇号)は、このような本件当時の心境の一端を吐露したものとみることができるのである。

してみると、本件犯行は、右のような事情から被告人に生じた攻撃性が、何らかの原因により殺意にまで飛躍的に高められたことによって、惹き起こされたものということができるのであって、概括的にみれば、その行動・心理の経過はそれなりに理解することができ、まったく了解が不可能であるということはできない。この結論は、福島鑑定ばかりでなく、小田証人も当審において認めるところである。

しかしながら、より仔細にみると、被告人が、前示のような事情を起訴とする欲求不満ないし攻撃性から、行きずりに殺人という重大な犯罪を犯すまでに至ったとするのは、なお飛躍があるといわざるを得ない。被告人は、これまで交通事故による業務上過失傷害、道路交通法違反の罪による懲役刑前科一犯(刑の執行が猶予され、取り消されることなく期間満了)のほか、前科前歴を有せず、宗教家(祈祷師)として真言大日宗薬王寺不動尊の看板を掲げて宗教を主宰し、数十人の信者を擁して活動していたのであり、これまで粗暴な行動その他社会的非難を受けるような行動に及んだ形跡は見当たらず、被告人による本件犯行は、被告人の普段の生活の状況、行動の傾向等と乖離したものであって、宗教上の悩み、不満を抱えた被告人が、飲酒による抑制力がとれた状況下において、Cにつきまとった末、その拒否的態度にあったという事情があったとしても、これによって殺意を抱くまでの攻撃性が生じたとするのは、被告人の普段の人格態度に徴し、根拠として薄弱であるというべきである。しかるに、本件においては、証拠上、被告人の攻撃性が殺意にまで高められたことを基礎付けるに足りる具体的な事情は明らかとされていないのであって、その意味において、本件犯行は被告人の人格から了解が困難であるということができる。

福島鑑定は、欲求不満の攻撃性への転化に関して、被告人が高校生当時の調査書の記載、小田・仲村鑑定における心理検査及び脳波検査の結果に基づき、被告人の人格には元来攻撃性、衝動性が潜在していた旨を強調し、本件犯行が「人格と親和的な行動」であるとしている。しかし、本件犯行が被告人の生活状況、行動傾向等と乖離しているうえ、殺人の犯行に至る被告人の心理経過が、証拠上具体的に解明されていない本件においては、福島鑑定が掲げる資料から、被告人に殺意の発生を根拠付ける程の攻撃性、衝動性が潜在していたと認めるには、なお慎重な態度をとらざるを得ないのみならず、心理検査等の結果についてみても、仲村鑑定では、「他者の責任とする外罰的な傾向や、あくまでも自分の欲求を通すことに固執しようとする傾向などはむしろ低い方である。多くの場合は、欲求挫折の原因や責任は誰にもなく、仕方のないことだとする解決方法、処理、納得の仕方をする傾向にある。」と判定されている部分(P-Fスタディ)があり、また、被告人が在籍した高校の調査書(当審検一一号)には、「短気であっさりした性格である。」とも記載されていて、被告人の攻撃性、衝動性はそぐわない性格が示されているのであるから、今直ちに福島鑑定に同調することはできないというべきである。本件犯行は、福島鑑定の用語に従うならば、「人格無縁」とはいえないものの、「自我疎遠」と断定するのが相当である。

四  責任能力の有無・程度

1  以上の検討の結果に基づき、被告人の本件犯行当時の責任能力について判断するに、被告人は、本件犯行当時において、客観的に酩酊の程度が高かったとは認められないのみならず、犯行前後において、意識障害、見当識障害があったとはみられず、犯行後には本件犯行を基本的に想起できていたのであり、本件犯行時における行動も、被害者らが通るのを予め待って攻撃を加え、その攻撃も事態に即応し秩序立ったものであるうえ、通常人の行動としてまったく了解不能という訳ではないのであるから、被告人が、病的酩酊によるもうろう状態の下において、あるいは幻覚等の異常体験に支配されて本件犯行に及んだ可能性はなく、被告人が、本件犯行当時、自己の行為の是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力を失っていた可能性があると認めることはできない(右の結論は小田・福島鑑定とおおむね軌を一にするものであるが、仲村鑑定はこれと異なる見解に立っている。しかし、仲村鑑定は、健忘や幻覚体験を述べる被告人の供述をそのまま前提とするものであって、本件犯行当時及びその前後の被告人の言動と被告人の供述の信用性について、吟味を尽くしていない点において、不十分なものといわざるを得ず、判断の根拠としてこれを採用することはできない。)。

2  しかし、翻って、本件犯行当時、被告人に完全な責任能力があったとすることも相当であるとはいえない。本件犯行は、被告人の普段の生活の状況や行動傾向等と乖離し、被告人の人格から了解が困難であるばかりでなく、被告人は、本件当時、アルコール依存症に陥っていた可能性があるというべきである。すなわち、被告人は、本件の三年位前から飲酒するようになり、平成二年一二月ころから飲酒量が増え(酒量はビールは大瓶三本位、日本酒は三合位、ウィスキーならボトル半分位であった。)、本件犯行前も、前夜から前示のとおり飲酒し、本件後は、高野山に向かう途中やその帰途におよそブランデー一瓶を空け(原審検甲一一三、一二二号)、一〇月三日には、アルコール依存症で禁断症状が出現しているとの診断を受けて三善病院(精神科)に入院し、翌日にかけて、「亀や蝿が布団にくっついている。」「人の声がわいわい騒いでいるように聞こえる。はっきりした声ではないが、こうしろとか二〇メートル位の所から飛べとかささやくような声がする。」などと幻視、幻聴を訴えているのであり、右事実及び小田鑑定に照らすと、被告人が、当時、アルコール依存症に陥り右入院時には離脱性幻覚がみられる状況にあった可能性があると認めることができる(但し、犯行当時離脱性幻覚が存在したといえないことは、小田証人も当審で認めるところである。)。これらに加え、被告人の親族に対する前示発言内容や犯行を認めている捜査官に対する供述内容によっても、被告人の犯行に対する記憶がかなり抽象的なものにとどまっているといわざるを得ないことをも併せ勘案すると、被告人が、本件犯行当時、飲酒による異常な酩酊状態にあり、行為の是非善悪を弁識しこれに従って行動する能力を著しく障害された、心神耗弱の状態にあった可能性を否定することができないというべきである。

ところで、福島鑑定は、行為者が側頭葉てんかんの負因を有する場合を除いて、酩酊時の精神状態は血中アルコール濃度(酩酊度)によって規定されるとの見解を前提としたうえ、被告人に側頭葉てんかんの負因はなく、計算上求められる被告人の本件犯行当時の血中アルコール濃度によれば、異常酩酊の発現する可能性のまったくない微酔程度の酩酊度であり、被告人は完全な責任能力を有していた、というのである。しかし、研究者間において、酩酊時の精神状態が、酩酊度と相関関係があることが一応の傾向として捉えられているとしても、これが酩酊度によって一律に規定されるという見解自体、わが国においては一般的であるとはいい難く、側頭葉てんかんの負因がない場合でも、比較的少量の飲酒でもうろう状態やせん妄状態に陥ることがあり(以上、小田の当審証言)、福島鑑定の見解を基にして直ちに責任能力を判定することには、躊躇を禁じ得ないばかりでなく、前示のとおり、被告人に対する飲酒検知の結果の正確性には若干の疑問があること、被告人の本件犯行が、被告人の生活や行動傾向から窺われる人格から了解が困難であり、被告人の責任能力がかなり減弱していた可能性を認めざるを得ないことなどを考慮すると、計算上求められた血中アルコール濃度から、直ちに、被告人に完全責任能力があったと認めることが相当であるとはいい難い。

五  結論

してみると、被告人が、本件犯行当時、異常酩酊により心神耗弱の状態にあった可能性はあるものの、それ以上に心神喪失の状態にあった可能性を認めることはできないのであるから、心神喪失の可能性があるとして被告人に無罪の言渡しをした原判決は、事実を誤認し、ひいては刑法三九条一項の適用を誤った違法があるというべきである。論旨は理由がある。

第四  破棄自判

よって、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

前記「公訴事実」のとおりである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が、本件犯人当時、心神喪失の状態にあったと主張しているが、被告人が、本件犯人当時、異常酩酊により心神耗弱の状態にあった可能性はあるものの、心神喪失の状態にあったと認めることができないことは、前示のとおりであるから、弁護人の右主張を採用することはできない。

(法令の適用)

罰 条 Aに対する殺人未遂の所為につき刑法二〇三条、一九九条

Bに対する殺人の行為につき刑法一九九条

刑種の選択 いずれも有期懲役刑を選択

法律上の減軽 刑法三九条二項、六八条三号

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重いBに対する罪の刑に法定の加重)

未決勾留日数の算入 原審分につき刑法二一条

訴訟費用の負担 原審・当審分につき刑訴法一八一条一項但書

(量刑の理由)

本件は、被告人が、飲酒酩酊のうえ、自転車に二人乗りして深夜勤務から帰宅途中の主婦二人に対し、所携の柳刃包丁を手にもち、殺意をもって襲いかかり、一人を殺害し、他の一人に対し傷害を負わせたにとどまったというもので、見ず知らずの女性を通りがかりに理由もなく襲った、いわゆる通り魔の態様による犯行であるところ、被告人は、その後方から後部荷台に乗った被害者Aを二回続けざまに刺突し、同女が抵抗する姿勢を示すや、直ちに自転車を運転していたBに攻撃の矛先を向け、体当たり状にその左胸部を一突きして、即座に走り去っているのであって、殺意の強さを窺うことができるうえ、Bが死亡したという結果が重大であることはもとより、Aに対する攻撃も、一歩間違えば死に致す危険性の高いものであり、その犯情は悪質であるといわざるを得ない。しかるに、被告人は、被害者及び遺族に対して、何ら慰藉の措置を講じておらず、とりわけ、Bの遺族における被害感情が厳しいのも当然というべきであり、被告人の刑事責任は重大であるというほかはない。

してみると、他方で、被告人には、交通事犯による懲役刑前科(取り消されることなく、執行猶予の期間満了)のほか、前科前歴がなく、本件犯行につき、それなりに反省の態度を示していること、これまでの生活歴中、格別犯罪と結びつくような行動の傾向は認められないうえ、被告人が本件犯行に及んだ動機も十分解明されてはおらず、被告人が、本件犯行当時、異常酩酊により心神耗弱の状態にあったことなど、被告人のため酌むべき事情も認められるので、これらを総合考慮したうえ、主文のとおり量刑する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清田賢 裁判官 坂主勉 裁判官 林田宗一)

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